増毛は古くから場所が開かれ、北国の一大水産物市場として栄えてきました。
明治以降にはニシンの群来が毎年のように見られ、ニシンを中心とした産業が興隆し、様々な人々で賑わいました。
ぐるめ食品は、増毛の海とともに、70年以上にわたって水産物に関わってきました。
地元の伝統を守りながら、新しいことにチャレンジすることを忘れずに。
その想いを抱きつつ、増毛からみなさまへ「美味しい」をお届けします。
INTERVIEW
これまでの御社様の歴史をお聞かせくださいますか?
事業としての始まりは昭和23年のことですね。この地で水産事業所が設置されたのがスタートです。
その後、昭和50年に東和食品㈱増毛工場として事業を継承し、昭和63年10月東和増毛食品株式会社として独立した法人になりました。
ぐるめ食品株式会社に商号変更したのは平成3年4月のことです。平成14年10月から、関連会社としてキョクイチグループとして活動しています。
増毛は古くから栄えたところと聞きますが、ここで事業を行う意義は何でしょう?
増毛の語源は、アイヌ民族の言葉で「マシュキニ」というんですね。これは「カモメが多いところ」という意味なんです。
カモメが多いということは、魚がたくさんいるということですね。その魚こそが「ニシン」なんです。
江戸後期から、増毛ではニシンが大量に獲れました。そのおかげで、増毛は北海道内でも早くから開けたところとして知られてきました。
この歴史的な背景は、我が社とっても重要です。これまでもずっと、ニシンをはじめエビなど、地元に根付いた商品づくりに取り組んできました。
現在ではタラコ・カズノコ・サケ・タコなどを主力商品とし、平成31年から新しい工場を設置してマダラの取り扱いも行っています。
古くからある商品を大事に、品質を守りながら新しいものにチャレンジする。そのことで地元に貢献していこうと考えています。
御社はどのような社風ですか?どんなマインドのみなさんなのでしょう?
手前みそではありますが、ぐるめ食品の従業員は一人ひとりが熱い心を持っていると感じます。スタッフたちが、品質の良くないものは作りたくないという思いを、本当に強く持ってくれています。
例えば水産物の加工品というのは、原料の鮮度がとても重要なわけです。この鮮度の見極めに対して、現場のスタッフたちはかなり厳しいですね。私も驚くくらいです(笑)。
でも、企業というのは人間力ですから、この力が会社にとって一番の宝だと思います。このことはずっと維持していかなくてはいけないと考えていますね。
そのおかげか、たらこではモンドセレクションを連続して金賞を受賞していますし、明太子でも連続で金賞受賞を果たしています。
我が社には「やらないよりもやってみよう」というチャレンジ精神がみなぎっています。本当に頼りになる従業員たちだと感じています。
将来に向けてのぐるめ食品のビジョンはどのようなものでしょうか?
どんな企業であれ、時代にあわせた変革が必要になっていきます。
これからのぐるめ食品は「水産物情報発信企業」とでもいうようなコンセプトが重要になっていくと考えます。
これまでの歴史・実績を踏まえながら、新しいものを開発し、自分たちで発信していく。その発信情報も、商品紹介だけではなく、食に関する様々なことにおよんでいけたらと思いますね。
また、これからはより安全安心な食が求められていく時代になっていきます。
わたしたちは、平成14年11月から厚生省によるHACCPの認定も受けることができました。これは食品の危害要因(ハザード)を把握した上で、工程を管理し、製品の安全性を確保しようとする手法です。
そういったことも背景に、これからも安全安心な日本海の水産物を、案定的に供給していく。その使命を果たしていきたいと思います。
吉岡寛学
ぐるめ食品株式会社 代表取締役
1962年1月7日生まれ、名寄市出身。北海道大学水産学部卒業後、旭川地方卸売市場入社。鮮魚部、塩冷部、商事部、食品部など水産部門の勤務を経て、(株)東京キョクイチ専務取締役に就任。2013年キョクイチ食販(株)代表取締役、そして2020年にぐるめ食品(株)代表取締役として現在に至る。
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